ひたすら飽きるまですばるくんと関ジャニ∞とそれから

改めてやすばin2016

※やすばに対する一個人の超!超超超主観を並べた自己満足に他ならない記事です。やすばが大好きで、安田くんが大好きで、すばるくんが大好きな関ジャニ∞ファンの方は見ないほうがいいと思います(笑)

※便宜上断定的な文章が続きますが、読み進める上では文末に全て「と思う」を付けて頂ければと思います(笑)





やすばの沼に浸かったのは久々な気がする。
すばるくんが好きな人間なら一度は迷い込むであろうやすばの森、迂闊に足を踏み入れればその奥で音を立てずにひっそりと佇むやすばの沼にうっかりと足を突っ込んでしまうことになる。やすばの沼はそれほど静かにそこに位置していて、誰を呼び寄せることも拒絶することもしない代わりに自分から突っ込んでしまったら自力で抜け出すしか道はない。そんなやすばの沼に久しぶりに爪先を落とした気がする。

それもこれも全ては、今回のツアーがとても楽しくって、関ジャニ∞をもっともっと大好きにさせた関ジャニ∞のせいだ。
過去のDVDを見て、やっぱりいっつもかっこいい♡とかいう甘ったれた気持ちだけじゃ終わらせない関ジャニ∞だってことは重々承知していたはずなのになあ、また私は関ジャニ∞の闇の一つであろうやすばの沼に引っかかってしまったんだなあ、自分の愚行を悔やむ。

私がここまでやすばを敬遠する理由はただ一つ、やすばのことを考えていると病むからだ。やすばって、本当に怖い。

やすばって怖い、それを一番最初に突きつけられたのは多分大勢の人が頷いてくれるであろう、ぱっちのお手紙だった。怖い、グルグルと果てしなく脳内を言い様のない絶望が巡る。

やすばは怖い。何故怖いかって、すばるくんが自分から愛情を傾けた人を手放した過程がまざまざと見えるから。もちろん今だってすばるくんと安田くんは仲良しだと思うし、お互いのことを好きだと思う。でも所謂やすばと呼ばれていたあの時期は、明らかにすばるくんの一番が安田くんで、すばるくんは持ち得る愛情のほとんどを安田くんに注いでいたはずだった。

すばるくんはきっと大切なものが少ないタイプの人間で、好きな人もあんまりいないし、友達と呼べる人をたくさん挙げられる人間じゃない。だからこそ、すばるくんは大事なものをちゃんと磨いて、匿って、一生をかけて愛していけるのだ。不器用で、損をしてしまうことも多いと思う。安田くんはきっと真逆のタイプ、大好きなものを大好きとすぐに認めることができて、一つ一つを大切にしていける。器用貧乏を大成させられるのは安田くんの才に他ならない。すばるくんではできない生き方だ、すばるくんがもし安田くんと同じだけのものを愛していこうと思ったらきっと壊れてしまう、と思う。

そのすばるくんが見つけた安田くんという存在がどれほどのものだったかを、私は知ることはできないけれど、やすばという三文字でくっつけられることに違和感がなかったあの時期は、

それが、「何番目かに愛してください」へと変わっていく。
今はもう、desireはもう歌わない、と言い切ることができる。

すばるくんは一体どうして、安田くんを手放すことができたのだろう。

安田くんはきっとたくさん愛されて育ってきた。人に優しくされて、笑顔を向けられて生きてきた。だから人に優しくできる、惜しみなく笑顔を向けられる、たくさんの愛情を注ぐことができる。
すばるくんがそんな人に傾倒するなんて、今だったら、もし今からやすばが始まろうとするなら、そんなことが始まるなんて怖くって、目を瞑ってしまいたくなる。
しかしやすばは過去で、でも確かに存在した。

私はすばるくんが大好きなものしか知らなかったのだ。歌と音楽、関ジャニ∞と、ヨコとヒナ、お母さんと筑前煮、すばるくんはごく少ないピースで形成されていて、本当に必要なもの以外は切り捨てる強さを持っている。
安田くんは、全てのものを捨てずに抱えて愛し抜く強さを持っている。
すばるくんは(明日には)変わらない。
安田くんは(明日でも)変われる。
どちらも強い、私なんかじゃ目を瞑りたくなってしまうほどの強さを持っている。

元気が出るsongを聴いた時、正確には安田くんの歌詞のあとにすばるくんの歌詞を読んだ時、二人の生きてきた道がこんなにも違うのだということをまた実感した。わざとでないと信じたい、安田くんの後にすばるくんが歌うことが、二人の歌詞が、自然で怖かった。
安田くんは日々を進み、変化し、より良い未来のために生きていく。すばるくんは過ぎていく日々を切り取って、選択し、過去に恥じない自分を生きていく。

そんなすばるくんが変化を自覚し、受け入れたときは大きい。ほとんど全てが変わる。しかし安田くんは聡い。そんなすばるくんをきっと受け入れて受け止め、そして手放すこと、手放されることを認めた。安田くんは本当に正しかったのだろう。すばるくんを手放してくれて、ありがとう。愛するものを抱えていく安田くんが手放した数少ないものがもしかしたらすばるくんなのではないだろうか。安田くんは日々変わっていく人だから変化に柔軟で、自分一人で解決できる人だから、きっと変わりながら生きていけるけれど、すばるくんにはきっとそれができなかった。できなかったから、すばるくんは一番を手放して、安田くんは一番でいることを諦めた。安田くんに一番はなかったかもしれない、でもすばるくんの一番であることを認めてくれた。そして一番でなくなることを許してくれた。

私がやすばを怖がるのは、全てを抱える安田くんが手放したから、すばるくんが自ら愛情を手放したから、そのことがとてつもない違和感として現れるから。私がそれを処理できないから、咀嚼できないから。

ああどうしよう君へのキャロルを聴きながら書いていたから、なんだかもう、泣きたくなってしまう。

でもね、私はすばるくんのことが大好きで、すばるくんを一番可愛がっているから、安田くんには手放しなんてしないでよ!!!とも思うんだよ。なんだかなあ、やすばって、やすばってやっぱりすごく尊くて、もしかしたら、明るすぎて見えない。

やすばは今となってはもう過去だけど、やっぱりすばるくんを好きでいる限り、私の一生忘れられない沼なんだろうなあ、またこうして足先を沼で冷やしてしまったら今の関ジャニ∞を見て、納得するしかないのだと思う。安田くんが手放したから、すばるくんが変わったから、いまの大好きな関ジャニ∞がいるのだと。そうしてこれからも小さな二人が肩を並べて笑う姿を画面越しに眺めていくしかないのだなあ。