ひたすら飽きるまですばるくんと関ジャニ∞とそれから

ある冬に綴ったすばるくん

・すばるくん
私の大好きだったすばるくんはもういなくって、私の大好きな大好きなすばるくんがそこにいました。
ふわふわでポムポムな笑顔を浮かべて、いつの間にか皇族の仲間入りをしたらしいすばる神は、うーベイベと歌うときも、外周を回るときも、気球に乗る前も、どんなときも360度を埋め尽くすオタクにその美しすぎる顔面を晒し、華奢な手首を揺らしてお手振りを振りまいていたのでした。
ちょっと前まで、ああすばるくんが手を振ってる!振ってるよ!とか言って興奮してたはずなのになあ。
いつの間にかすばるくんが当たり前にお手振りをするコンサートになっていて驚く、嬉しい。
すばるくんが幸せでいて欲しいから、すばるくんが笑っていられる世界であって欲しいから、例えすばるくんが笑わなくても、目を閉じて歌い続けるだけでも、だってすばるくんが気持ち良いんだからそれでいいって思ってたのに。
すばるくんは、私が、私たちが、オタクが願う必要もないくらいゆるふあーな笑顔を浮かべて、コンサートをしてくれるようになってたよ。
例えばヨコとか、例えばヤスとか、無理をすることが上手で、我慢をするのが得意な人は、笑っていても不安になることがあった。いま、本当に楽しいと思って笑っているんだろうかとか、もうこれ以上何も背負わせないで欲しいとか、おこがましくもそんなことを思ったりもする。
だけどすばるくんは嬉しくなかったら笑わないはずだったから、私はすばるくんの笑顔を一番に、何より信頼してる。
交わることのない人たちだから、私には彼らの幸せも悲しみも喜びも苦しみも何も分からないから、私には全ては分からなくて、コンサートの答え合わせもいつも曖昧だけど、それでもすばるくんの笑顔だけは絶対的に信じていいって、それはこれまでのすばるくんが積み上げてきてくれたものだと思ってます。
「すばるくんを傷付けるもの全てから守りたい」とか「すばるくんが本当に幸せな時だけ笑ってくれたらいい」とか「すばるくんの介護したい」とか「すばるくんからファンサ貰えたときに私は担降りする」とか、そんな言葉が一つも似合わない人になってしまったなあ。私の知らないすばるくんが、私の大好きなすばるくんでよかった!
明日も嬉しいことがありますように、明日もきっと寒いからあったかくして、それから、それから、

うん、時効かな。笑
今の自分も激しく同意しちゃったのであげてみる。